ndde’s blog

色々なことを書くブログです

やはり自分は二次元世界の住人でした

「虐殺など実は存在しません」に気づかない奴が史実を真に受ける事が出来る奴である
ここから「死」という概念が実在すると本気で信じるを選んだ奴が
史実を真に受ける事が出来る奴だと言うことが判明するのだ
言い換えれば「死=自分の終わり=相手の終わり」を連想する奴だけが史実を真に受ける事ができるのだ
では「普通の奴」にとっての「死」とは何を連想するから
史実を真に受けないが出来るのか?
「絶頂」である「神様の自慰行為」でもある
「自分の男性器を自分の女性気に挿入する」を行った結果
「神様自身が絶頂しました」を連想しているだけなのだ
つまり「死=絶頂」を連想すると困る事があるから史実を真に受ける事ができるのだ
言い換えれば「史実を真に受ける」のことを「想定外」と扱う理由である
「セックスの痛みに耐えられない」を選んだ結果
「一突きで絶頂する」を選んだ奴である
つまり「男性器は小さくて柔らかい方がいい、女性器は浅くて緩い方がいい、エッチは一突きで終わらせるほうがいい、だってエッチって痛いもん」と
本気でそう思うを選んだ奴が「史実を真に受ける」を選ぶ奴なのだ
つまり「史実を真に受ける奴は例外なく本物の弱虫」だと言う事がわかるのだ
言い換えれば自分のことを「本物の弱虫」扱いすると困る事があるから
「何をしていいのかわからない」という目で見ていると同時に
「本物の弱虫との付き合い方」も実はあるから
最原修一なりアレクシオスなりは世の中に適合できたという話でもある
つまり「何もかもが違う認識になってしまう移り」こそ「普通の移り」で
「本物の弱虫は本物の弱虫のまま」だけど
自分みたいな奴にとってのそれは「天狗」になる性質の移りだから
明かせないだけの話なのだ、これはどういう事なのかというと
「何もかもがセックスと結びつける移り」なので
「本物の弱虫」にとってのそのうつりは「地獄絵図」そのものなのである(一突きで絶頂するが常におきてしまうから)
ではなぜ自分みたいな奴にとってのそれは「天狗」になるのかというと
「不死身だと実感できる」及び「絶頂を常に味わう事が出来るから楽しい」及び「誰彼かまわずセックスできる」からである
キチガイ、お前によるとお前にザーメン搾り取られたり潮吹かされまくったりするためにあたし達はいるといわなかったのがいけなかったんだそうだな」なり
「君の両親がね、君の事を知っていただけの話」と「コバヤシユミコ」が返答したのもそのためなのだ
そしてここから「あえて」絶望組とセックスしろと希望組の親が言う真相も何なのかが解明可能なのだ
「希望組にとっての絶望組みとのセックス」及び「絶望組にとっての希望組とのセックス」とは
「どういうものなのか」を神様に「体感」させる事で
「双方にとって何の支障もないセックスにするにはどうすればいいのか」を神様に考えさせるのが狙いなのだ
つまり「そんな方法などありませんでした」というのが「ツウシンボ解析」の件を見ればわかるのだ
それがどういうものか「わからない」自分と最原修一にしか「出来なかった」のが証拠である
言い換えれば何故「山田は葉隠にしておかなければならなかった、葉隠は山田にしておかなければならなかった」といった概念が「わからない」事を意味する
設定尽くしな真相も解明可能なのだ、つまり「犯人」が誰なのかも特定可能なのだ
自分はここにいるけどあくまでも「受け手」の範疇に収まっている以上「別の誰か」と言う事になる
「ミナミオミ」である、これが「答え」だと言うことに気づいてしまったからやっていただけの話なのだ
つまり「希望組と絶望組は別々に暮らしましょう」を「わからせる」のが目的なのだ
ドラえもん」と「サザエさん」が掲載されてしまったのが原因である(平和な世界を表現しているから)
これだとただ単に「自慰行為をやめましょうね」を神様に言ってしまった事になるからである(神様の自慰行為の痛みを連想する描写を否定したことになるから)
これらが掲載されたのも本当は「アインシュタイン博士の理想が何なのかをちゃんと理解していますよ」を表現するためにやっていただけの話
つまり「アインシュタイン博士が自分の言うことを聞くを選んだ」のが原因で出来ただけの話(全部自分の仕業と「コバヤシユミコ」が解釈したのもそのため)
つまり自分がこんな風になってしまった本当の原因は「アインシュタイン博士の考えに共感する」を選んでしまったのが原因なのだ
でもここまでの情報から「ただ単に自分によっている」から「虐殺」といっ他概念が「あるということ」にしているだけの話だということが判明するのだ
つまり「死」といった概念を「あるということ」にすることが目的で「見栄を張る」事に対する「苦情」を言うために自分はこれをやっているだけの話
ここまでわかった以上「やめないかこれ」及び「神様は神様、自分は自分だぞ」というのを「認める」のが「答え」にしかなりません
「犯罪者になる奴」と親に思われているから犯罪をやれといわれている奴がいることからわかるように
見栄を張る」を終わらせたところで「何もかわらない」のも「明らか」だぞ
だから種明かしすることで「見栄を張る」のは「おしまい」にしてもらえないか?
こんなものは必ずばれるし「見栄は見栄でした」及び「二次元世界の住人は二次元世界の住人でした」という話にしかなりません
だからやめないかこれっていう話
自分が本当は「二次元世界の住人」である以上「実は現実世界の住人何次元世界の住人」も実はいるのではないのか?
それらを「元の場所に戻す」という意味での「まあこれ冗談ですから」を実行するだけで済む話ですよ
だから種明かししてもらえないか