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台本の狙い

 

 

 

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日向達が雪輝に立ち塞がる事になったときどうするか由乃が問いかける場面があった事から

雪輝が日向達を殺すのも「台本」通りの展開だということがわかるのだ

しかし観測者は殺さなかったから「数え間違えた」が強調されたのである

そして由乃と心中するといったときも「やはりまた」と言った事から

これも「台本」通りだと言う事がわかるのだ

つまり雪輝がループを知るのも「台本」通りだと言う事がわかるのだ

更にいうと9thとメール交換するの事を4thが実行したことから

9thに対しデウスが力を与えるのも「台本」通りだと言う事がわかるのだ

しかし雪輝が襖を開けることも実は「台本」通りだと言う事が

「助けて天野君」という場面がある事からわかるのだ

つまりムルムルは「台本」の全貌を知っている様でいて知らないことがわかるのだ

更にいうとムルムルの事を「デウスの配下の筈」と言う場面がある事から

由乃も「台本」の全貌を知らない事がわかるのだ

そして雪輝が追って来ることを「嬉しい」と雪輝日記が記載していたことと

これに由乃が違和感を感じていたことから

「台本」通りの行動を雪輝は行っている

及び「由乃を指図する台本」こそ雪輝日記の実態だと言うことがわかるのだ

つまり雪輝と9thが由乃を追跡し自分殺しを阻止する流れもまた「台本」通りなのがわかるのだ

 そして「台本」とはこういう点が違うこともわかる

 

「6thと12thの脱落順が逆」

「死者が蘇る事がない及びループのことを4thが知らせる」

 

しかし「台本」の「コンセプト」に影響はないから「計画通り」とムルムルは言ったのである

つまり「台本」の「コンセプト」の性質上、これらは必須事項だったのである

 

デウスが9thに力を与える

・死者が蘇る事はないを知り雪輝が絶望する

・雪輝は由乃と心中することを選ぶ

・観測者を除く友人を雪輝が殺す

・ループを行う由乃の追跡を雪輝と9thは行う

由乃の自分殺しの件を雪輝と9thは批判する

・雪輝と9thは由乃の自分殺しを阻止する

 

だけどこんな筋書き「打ち合わせのよしみで11thに力を与える」をデウスが選んだり

「自分は敗者で由乃は勝者だから由乃の判断に従う」を雪輝が選んだりした時点で不成立である

つまりこの「台本」は雪輝とデウスがこの種の選択をしないことが「わかっている」から作れる代物

言い換えればこの種の選択の「否定」が「台本」のコンセプトであり

「屈する」を意味する選択の「否定」が「台本」の狙いの一つだと言う事がわかるのだ

つまり「何かに屈しない」が「台本」のコンセプトであり

先述の要素には「テーマ」が存在する事がわかるのだ

 

由乃との仲を守る事」が「観測者を除く友人を殺す」及び「心中することを選ぶ」である

由乃との仲を引き裂く」仕組みになっているゲームに抗うことが「テーマ」の一つ

 

タイムリープを使ったゲームの再開の批判」が「由乃の自分殺し批判」の「テーマ」の一つ

 

未来日記の存在否定」が「神の力を9thに与える」の「テーマ」の一つ

 

「殺人ゲームの否定」が「死者が蘇る事はないを知り絶望した」の「テーマ」の一つである

 

つまり「殺し合い」と「愛を引き裂く」の「否定」こそ「台本」のテーマだと言う事がわかるのだ

 

言い換えれば「殺し合いを阻止し愛を育む」事こそ「台本」のテーマだと言う事がわかるのだ

 

つまり「僕の選択」で雪輝が行ったことを雪輝にやらせるのが「台本」の狙いであり

「殺人ゲームを否定し、殺人ゲームを終了させる」事こそ「台本」の「コンセプト」だと言う事がわかるのだ

となると雪輝の言う「大きく変わった未来」とは何なのか?

 

所有者達が殺しあうのを辞めるラストの展開は「台本」通りです

9thが神の力を得るのも「台本」通りです

 

「台本そのままなら観測者との接点は皆無なままだった」と言う事である

パラドックスで雪輝の代役を依頼したのも「観測者は台本に登場していない」に因んだもの

雑誌版ラストに観測者が登場したものここに因んだもの

「観測者はデウスに解体される事となった」ため

「神となった由乃」正確に言うならば「史実世界で解体された観測者」は消えてなくなる事になっていた(史実世界の再現が行われたことになるから)

そしてこれと連動する形で由乃も消えてなくなる

つまり「ユッキーと由乃が結ばれる HAPPY END」は否定され

「ユッキーとムルムルが結ばれる UNHAPPY END」になっていたのだ

つまり襖が開けられていなかった場合

球体のなかで雪輝とムルムルが一緒にすごしていた日々が永遠に続く事になっていたのだ

つまり「殺し合いの否定と愛の育み」こそ「台本」の狙いなのである