呂布について
その董卓が呂布に対し「自分のようになるなるな」と戒めた逸話があるのだ
その一方で呂布を虐待していたという逸話もあるのだ
そして暴君になる以前の董卓は「好人物」だったという逸話もあるのだ
これらからこういう説も唱えることができる
「暴君でい続けることに対し董卓は苦しんでいた」のではないのか
漢室を支配するために「あえて」暴君でい続けた
しかし「良心の呵責」といった類の代物や
「自分に嘘をつく政治方針」を行い続けたため
支配者でい続けることに対し「苦痛」を感じていたのではないのか?
そういった類のストレスが先述の戒めや虐待に現れ
そんな董卓の姿を通し「死」を与える以外に「救う」手立てはないと呂布は考え
董卓の子供であるが故に董卓を殺し董卓を「助けた」のではないのか?
つまり「精神的安楽死」を董卓に対し与えるために呂布は董卓を殺したのではないのか
この説を唱えるということは「為政者になるということに対し苦痛を感じる人がいる」を認めたことを意味する説であり
為政者に対するイメージが悪くなる原因となるのである
つまり今現在の為政者を目指す人に対するイメージが悪くなるのである
つまりたとえ事実であっても今現在の体制批判を行うことを意味する説は唱えることができないのである